3.初めての出会い
暖かな風が花の香りと共に吹き抜けていく。
よくよく目を凝らすとラオールという風の精霊が春を運んできたようだ。
心地よい窓から差し込む日差しとカーテンを揺らめかせる風。
シピリカは帝王学と書かれている分厚い本をソファーに腰掛け面倒くさそうな表情でパラパラとめくっていた。
ルイカは帝王学改訂版と書かれている本を真剣に読んでいる。
シピリカはますます自分がこの国を継ぐ必要ないのでは?と思い真剣なルイカの顔を眺めていた。
「貴女もルイカ様のようにもう少し真面目に取り組んではどうですか」
紅茶の香らせながらティーカップがシピリカの横に置いてあったサイドテーブルに置かれる。
シピリカはムッとした顔をしてティーカップを置いた主を睨みつけた。
なんでこの男がここにいるのだろうか。
「私も好きで家庭教師みたいな事をしてるわけではありませんよ」
この男は茜瓜という。
長い白髪を緩く編んだ三つ編みを右横に流し左右違う目の色にモノクルをつけていた。尖った左耳に金のピアスが煌めく。
顔は大層美しい男だが身長がかなり高いため威圧感が凄い。
すでに他界しているがシピリカ達の祖母の古き友人…という事にしておこう。
シピリカの母親は帝王学に大変疎く時間があれば父親が対応していたのだが、父親は城に戻る事が少なく城壁ばかり相手にして忙しくしていた。
指導できる人はいないかとなったところ、この男センカに白羽の矢が立ったのが最近の出来事だ。
「さて問題です、カルナトール王国の城壁の外で管理されている牧場の名を述べなさい」
シピリカの顔が引きつる。
センカは笑顔で問いかけているが間違えたらどういう仕打ちをするのだろうとシピリカは恐ろしかった。
「ハウエルとヴィータスとアマルチ牧場だよね」
ルイカが答えるとセンカは何故お前が答えると言わんばかりの表情をする。
「大丈夫だよ、そういう事が僕がシピリカのサポートをするんだからセーフでしょ」
将来は恐らくそういう事になるのだろう。
現状、母親が出来ていない事は母親の弟のノアが対応している。
「お前が疲労で倒れない事を祈る」
心にもない事をこの男は平然と吐くと、シピリカは思った。
その心の声が聴こえたのか聴こえなかったのかシピリカの額にビシッと凄い音と後に痛みが現れた。
「~~~~~~~ッ!」
声が出ない程の痛み。
「ルイカ様に迷惑をかけるのはほどほどにシピリカ様」
使用人にも両親にも打たれるどころかデコピンですらされた事ないのにとシピリカは目に涙を溜めていた。
後にも先にもシピリカとルイカにこういった体罰が出来るのはこの男くらいだろう。
とりあえず今日の授業は終わったようだ。
センカがお疲れ様と言い残し部屋を出ようとしたがふいに足を止めたかと思うと振り返り、シピリカの前に来て圧力をかける。
(何、まだ何か用があるの?)
シピリカは無意識に自分の額を手で覆い目を閉じ自己防衛した。
「授業が終わったら渡すようにと頼まれていました」
センカはそういうとシピリカの頭に小ぶりな巾着を乗せ、ルイカにも同じような小ぶりな巾着を手渡しした。
シピリカはまだ額を手に添えたまま目を閉じている。
ルイカは貰った巾着をきらきらした瞳で眺めていた。
「センカ、これは…まさか…?」
その場の空気にシピリカも目を開け頭に乗せた巾着に手をやり巾着を広げ中を覗き込む。
中には、シピリカの大好物なクリームコンフェと丸い粉砂糖のクッキーと小さな瓶が入っていた。
「妻の手作りの菓子とナイトフレグランスポーションです。内緒ですよ」
本来なら王族に無許可で民間人が贈り物をしてはいけないが内緒にしろという事だ。
センカは結婚しており、その妻はポーションを作るのを得意としていた。
このナイトフレグランスポーションは、寝る前に枕に吹きかけるとそれはもう楽しい夢が見られる。
麻薬?いいえ、ただのフレグランスです。
「はああああセンカ様ああ、ありがとうございますううう」
シピリカはうきうきと体を上下に揺らし小さくジャンプしている。
シピリカの喜びようにルイカも嬉しくなってくる。
このフレグランスはシピリカのお気に入りで丁度切れていたところだった。
サンプルらしく市場には出回っていない。…というのもあまりに効き目が強く販売が見送られていたからだ。
どの商品にも販売には城の許可がいる、何故か麻薬認定され許可が下りなかったのだ。
飴と鞭の使い方が絶妙に上手いなぁとルイカは関心していた。
人を動かすには、甘やかしすぎても厳しくしてもいけないとルイカは確かに帝王学を実体験で学んだ。
シピリカには、その意図は理解できているかは疑問が残るところではある。
センカが帰った後、シピリカは頂いた小瓶を眺めていた。
「これは売ってなくても似たようなポーションなら売ってるって事かしら」
シピリカが考えている事をルイカは何となく察していた。
どうやら、それを製造しているお店に行ってみたいという気持ちが強くなったのだろう。
しかし、その店の通りには良くない店も多いから近寄るなと父にきつく言われていた。
「私、もう16歳なのよ。パパのいう事をずっと聞く子供じゃないわ」
「でも、変な店に捕まったらどうするのさ」
「私、いつまで城の外に出られるか分からないじゃない」
シピリカはこの国を継ぐともう城の外へ出る事は許されなくなってしまう。
ルイカはそれを知っているので駄目だから行かないでよと言えなかった。
「じゃぁ、僕も一緒に行く、一緒に怒られようか」
ルイカは困った顔でシピリカに微笑みかけた。
その表情は、やはりシピリカの”兄”の顔だった。
シピリカが小声で誰にも聞こえずルイカにだけ聞こえるように囁いた。
「ありがと、お兄ちゃん♡」
・・・
ある日の早朝、上手く城を抜け出し仲良く歩いているシピリカとルイカの姿があった。
自分らの視界には入っていないが尾行している護衛の気配をシピリカは感じていた。
思ったよりは上手く抜け出せなかったらしい。
しかし、口うるさい護衛ではなく割と危険ギリギリのところまで邪魔をしない性格の持ち主らしく、少し怪しげな路地裏に入っても文句は言われなかった。
「あったよ、ユメカタリ堂」
ルイカは簡単な地図と住所の書かれたメモ紙を確認し間違いじゃないか何度も見比べていた。
父からは、ガラクタが出入口にありお店という雰囲気ではないと聞いていたが、道に鉢植がいくつか並び店の入り口横の小さな窓には取り扱っているポーションの名前の書かれたメニューがある。
時刻は11時を過ぎていた。父の話だと開店時間は14時と記憶していたが聞き間違えたのだろうか。
「あら、お店オープンしてるみたいじゃない?」
「だよねぇ、父様もここに長い間来ないみたいだから営業時間変わったのかな」
入口のドアノブに手をかけるもシピリカの手は少し震えていた。
とりあえず護衛がストップをかけていない。路地もごちゃついておらず、父が言うほど危険なところではなさそうだった。
ゆっくり扉を開けると、カランカランと小さな鐘の音が店内に響き渡る。
・・・
「はーい、いらっしゃいませー」
奥から店員と思われる女性が出てきた。
シピリカ達はてっきりセンカが出てくるものと思い身構えしていたので拍子抜けすると同時に安堵した。
「ゆっくりごらん下さいね」
シピリカと少し似た栗色の髪を二つに括り赤い三角巾をしている若々しい耳の尖った女性だった。
そういえばセンカには娘がいると聞いたことがある、娘さんだろうかとシピリカは眺めていた。
学校の噂だと絶世の美女との評判だったと記憶していたが美女というには、何だか可愛らしいという言葉が似合う。
シピリカとルイカは店内を見渡す。
ずっと揺れている円盤の集合体、やたらと種類のある缶詰、外の日の光を窓から受け止める小瓶たち…
カウンターの裏には本棚。背表紙を彩る装飾どころかタイトルすらない物が多い。
父から聞いたことがあるが、そういう本は子供が見てはいけないものだと習っている。
ルイカがまじまじと本棚を見ていたので、店員は少し頬を染めながら見えるはずのない背表紙のタイトルを手で隠す素振りをする。
「こ、これはダメですよ!雑貨ならあっちの棚を見て下さいね?!」
店員は入口の奥にある棚を指差した。
封筒や便箋が並んでおり、シピリカもその色とりどりの紙を眺めていたのでルイカもシピリカに続いた。
店員は二人の光景を眺めながら小さく「んーーー?」と声にならない声を小さく出している。
店内を一通り見るとシピリカは小瓶の前に立ち止まり色々なポーションを眺めていた。
やはり先日頂いたナイトフレグランスと同じものは無さそうだった。
「何かお探しですか?」
店員はシピリカに寄り、声をかけてきた。
「ここには、ナイトフレグランスは置いてないの?」
「ないとふれぐらんす?」
店員はナイトフレグランスを知らないらしい。
あれー?とシピリカは、気まずくなって縮こまっていた。シピリカの人見知りが発動したようだ。
ルイカは二人の間に割って入った。
「こういう小瓶に入ったナイトフレグランスポーションで―」
ルイカが言い切ろうとしたところ店の奥からもう一人女性が出てきた。
「ママ~、それって香料の事じゃない~?」
奥から出てきた女性は店員より背も高く、髪も長い。白髪に白いワンピースがとても似合う色白の女性だった。
その姿は美しく可憐、二人は一目見てこの女性が絶世の美女の看板娘だと察した。
「香料ポーションの事ですか、あれはまだ試作なんですよねぇ」
((え、ママ?この店員、この美少女のママなの?!))
二人は目を丸くして驚いた形相で店員は見た。
((え、若い。身長の関係なのか娘より若く見える!))
店員は、そういう反応に慣れているのだろう。「あはは」とちょっと顔を引きつらせていたが二人に怒っているわけでもなさそうだ。
「ごめんね、うちのママってばポーションは作るんだけど商品名はパパがつけちゃうから」
なるほど、この娘がセンカの娘なのかと双子は容姿を見て納得していたが…
((え、この店員さん、あのセンカの妻ってこの店員さん?!))
ずっと驚き続ける事にシピリカとルイカはそれだけで疲れてしまったようだ。
驚いていたところに娘がシピリカに近づいて、そっと髪を掴み指先で撫でる素振りをする。
シピリカはその綺麗な顔立ちにびっくりして、ずっと娘の目を見ていた。
「貴女の髪、とても綺麗ね朝の陽ざしで金箔みたいに輝いてる」
初対面の人にそんな事を言われたのは初めての事でシピリカは沸騰するくらい顔が真っ赤になっていた。
娘の髪も透き通るような綺麗な白髪に日の光が少し透け一瞬金のようにも見えた。
「いえ、貴女の髪だってとても綺麗だわ…」
ルイカは一体何を見せられているのだろうかと少し恥ずかしくなった。
店員の方は「ふむふむ」という感じでその光景を見つめ、手を小さくパシッと合わせた。
「エッタのお友達なら早く言って下さいよ、良かったらお茶にしませんか?」
・・・
シピリカとルイカは、訳も分からず店の奥に連れられソファーに腰を下ろされた。
店員はとてもご機嫌な様子でお店の商品から適当に茶葉を選びどこかへ消えていく。
二人は、どうしようかとお互いの顔を見合わせた。
「あんな嬉しそうなママ久しぶりに見たわ、少しだけお友達ごっこしてくれるかしら?」
娘は二人に向かってふわっと微笑んだ、その嬉しそうな子供っぽい顔はやはりあの店員にもよく似ていた。
この娘の名前はミネルエッタ=呩無=テリジアというらしく、センカと先ほどの店員の娘だ。
歳はシピリカとルイカより4つほど上で20歳だという。見た通り成人女性だった。
「両親は学校という文化のある時代に育ってなくてね、私は学校には行ってないの。だからかな私には歳の近いお友達がいないのよ」
ミネルエッタは少し自分の育ってきた環境が今の時代とは少しズレている事を自覚しているらしい。
基本、女の子が大好きなルイカはミネルエッタを援護しだす。
「大丈夫だよ、シピリカなんて学校行ってても友達できないまま卒業したんだかッ」
ルイカが言い切る前にシピリカはルイカの足を踏みつけた。
二人のやりとりにミネルエッタはクスクスと笑い出す。
「姉弟って楽しそうね、羨ましいわ」
「ま、まぁ退屈…はしない…の…かなぁ…」
「だねぇ…?」
二人一緒は当たり前だったので改めてそう言われると楽しいんだろうか?と疑問に少し感じるシピリカとルイカは同じ方向に首を傾けた。
並んでいる二人を見て、ミネルエッタは思い出したようだった。
「あら、貴女たちってもしかして…第一王女と第一王子のお二人かしら?」
そういえばシピリカとルイカは自分たちの事をまったく紹介していなかった。
何で気がついたのだろうかと尋ねた。
「昔、式典で少し幼い頃だけど見た事があるかな~って思ったのとぉ…」
そう言うとミネルエッタは窓に向かいレースのカーテンを開けて何かを紹介するように手を窓に差し出すように向ける。
「この窓に張り付いてるお二人は私のストーカーではなくあなた達の護衛って事で良くって?」
「「あ。」」
護衛は、気まずそうに呆れた双子と目が合った。
この店は、古くから王室の御用達の店だけあって護衛も危険はないと察し入る事はないものの二人を見張らなければいけなかったので窓に張り付いていたようだった。
ミネルエッタは、護衛を招き入れようとしたが護衛は首を横に振った。
部屋の入口には、ティーカップを4つとポットを乗せたトレーを持って驚くように立ち尽くしている店員がいた。
「えと…追加のカップは、いりますか」
護衛はどうしようかなと少し考え護衛同士顔を見合わせたがお構いなくと遠慮した。
「見た事あるようなってずっと不思議だったんです。シピリカ様とルイカ様なのですね、本当に大きくなりましたねぇ」
店員の名前はメイメル=テリジア。センカの妻でミネルエッタの母親だ。
ちなみに苗字のテリジアだがセンカには苗字はなかったので母親の苗字を受け継いだようだ。
センカも場所によってテリジアを名乗る事もあるが苗字はただの飾りだと話しているのを二人は聞いたことがある。
「私たちの事、知ってるんですか?」
「もちろん!といってもうちは城に行くのをてんちょ…主人に反対されていて式典で見たくらいですけど、あぁでもあなた達を出産する時に女王様が少し精神的にお沈みになっていてお話し相手として何度かはお城に行きましたよ」
「母様も精神的に沈む事ってあるんだ…」
ルイカは、自分が生まれる前の母の事をあまり聞いたことがなく食いついた。
ミネルエッタは、自分の時もママは精神的にしんどい時はあったのかと尋ねるとメイメルは特に隠す事もなく頷いた。
「そりゃ母親の多くはそうやと思いますよ?でも、そんなのエッタが生まれて来た途端吹っ飛びました」
ミネルエッタは少し「えへへ」と子供っぽく笑った。
「おい、なんでガキ共がここに居る」
声がした方を振り向くとお菓子やフルーツを乗せたトレーとマグカップを持つセンカの姿がそこにあった。
シピリカとルイカは凍り付いた。
「「お、おじゃましてまあす…」」
センカはトレーをメイメルに預け、マグカップ片手に少し前傾姿勢になり自分の額を覆った。
「呩無の友人が来たとメイメルが浮かれていたからどんな面のガキかと思えば…」
「てんちょー!姫様王子様相手にガキなんて言わないで下さい」
「パパサイテー」
「なっ!」
あのおっかないセンカも妻と子供には、勝てないのかと少しだけ二人はセンカに好感が持てたとか持てなかったとか。
・・・
家路につくシピリカとルイカ。
今日は、頑張ってお出かけして良かったとシピリカの足取りは軽かった。
「また遊びに来て、今度は私が貴女に会いに行くわ」
そう、シピリカに生まれて初めての友人が出来たのだ。